Q&A
お焼香は、元々香水のような役割がありました。それが日本には628年頃に淡路島に香木が漂着したといわれています。その後、753年頃に唐から鑑真和尚が仏典とともに香木を携えてきたというのが香の始まりです。それから時代が進むによって、お焼香をする人自身の身心の穢れを落とすために行われるようになります。香をたくことは、仏前を清浄にすることと、荘厳化することの意味があります。宗派により作法や回数は異なりますが、曹洞宗では2回となっています。1回目を主香、2回目を従香といいます。お焼香で焚かれる香りは、仏教では仏の食べ物と考えられていて、仏と故人のために参列者が順番に香を焚きます。お焼香する人の心と身体の穢れを取り除く意味合いもあります。
卒塔婆は古代インドで「仏舎利塔」という意味のサンスクリット語「ストゥーバ」を漢訳したものであり、釈迦の遺骨を納めた塔で、これが五重塔の起源といわれています。五重塔をもとに、その後つくられた五輪塔が卒塔婆の起源です。卒塔婆は五輪塔が簡略化されたもので、五輪塔の5つの形の意味を卒塔婆も同じく持っています。また、五輪塔が供養塔と呼ばれるように、卒塔婆そのものが供養を表しています。
日本人が古くから神や霊魂をまつわるときに依代として立てた神籬(ひろもぎ)が仏教化して、木の卒塔婆になったようです。死霊の鎮魂と供養の役割があります。
故人の戒名や没年月日を記した木製の牌。室町時代に武士の間で作られるようになりました。これは地域のために命をかけて戦って下さる武士に対して功績を残すために作られたようです。庶民が作られるようになったのは江戸時代に入ってからです。現代では、亡くなってから仮の位牌を使用し、49日まで本位牌を作成した後、49日法要で位牌の魂入れを行うのが一般的になりました。
戒名は中国には古くから諡(おくりな)と言う習慣があったことに起因しています。諡とは高貴な人や功労のあった人に対して、朝廷からその死に際して贈られる名のことです。業績のあった人には立派な諡が贈られましたが、時代が下るにつれて立派に見せるために字数が多くなったりしました。日本においては天平時代に養老律令の中に諡についての記述が見られます。それには「その人の一生は自分自身の責任によるものであり、他人が下す」と書かれています。諡をつけるのはその人の業績を永く称えることが目的であり、宗教的な意味は含まれていませんでした。諡に似た意味を持つ言葉に諱(いみな)がある。これは死後に生前の名を替えることで「いみな」が「忌み名」に通じるとともに、言霊信仰により生前の名を呼ぶことによって死者の魂が舞い戻って災いを成すことを恐れたためです。死は穢れと捉えて祟りを恐れました。
全国的に戒名を付けるようになったのは江戸時代からです。これは幕府の政策によってキリシタンの勢力を抑え込もうとしたためです。当時スペインは日本の金を目当てとして植民地化を考えていました。そこでザビエルなどのキリシタンを日本に送り,勢力を強めようと考えていました。幕府は、隠れキリシタンが多かったため、踏み絵など行い取り締まりました。戒名もその一部で使われ、亡くなってから仏教の名前を付けることでキリシタンかどうか区別していました。